日経新聞Web版(NIKKEI NET)8月17日の記事にちょっと気になる記事を見つけましたので紹介します。
以下、抜粋。

『国土交通省は高齢者や障害者の外出先での移動を円滑にするため、情報通信技術(ICT)を使った新たな支援システムの研究開発を促進する。(中省略)
 急速な高齢化を受けて、すべての人が社会に参画できる「ユニバーサル社会」の実現が課題となっている。国交省は移動支援サービスの充実・普及を急ぐ考えだ。
(1)歩行者の位置を高精度で特定し、歩行を確実に誘導するシステム(2)視覚障害者が快適・安全に移動できるよう、階段や段差などの情報を音声で的確に認識できるシステム――など4つのテーマに即した事業を助成する。』

以上。

個人的に思うのですが、情報通信技術への研究・開発を援助するというのは、ありがたいことです。
しかし、それら情報通信技術を使った移動支援サービスのシステムが「ユニバーサル社会」の
実現に繋がるかというと、少し疑問が残ります。
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写真にあるように、歩行者が快適・安心に移動できるためには、歩行空間に自転車を置いたり、
電柱や防護柵、車止めなどの施設を出来るだけ少なく(出来ればない方が良い)するという
「マイナス(つまり引き算)」の思考が大切で、それが「ユニバーサルデザイン」ではないかと思います。
出来るだけ歩行空間をシンプルにしてあげて、歩行に危険な物(例えばクルマや自転車など)
あるいは障害物(電柱や看板、車止めなど)を少なくすることで、快適・安全な歩行は不可能でしょうか。
欧州の旧市街のように、クルマの乗入れ規制を行えば、歩道と車道の段差はなくなり、
車止めなどの障害物も不要です。

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そもそもなぜ横断歩道橋が必要なのでしょうか。
日本ほど横断歩道橋の発達した国は無いのでは?
なぜ、中心市街地の狭い街路で車道と歩道の境界(ブロックによる区切り)が必要なのでしょう。
買い物客や通勤・通学など人の往来で賑わう中心市街地にクルマを進入させるために、
車道と歩道を区切る必要があるからではないでしょうか。

ある障害・障壁(バリア)を取り除くための手段(対策)が新たなバリアを生む。
これはユニバーサルデザインの発想ではなく、バリアフリー的な発想だと思います。
視覚障碍者誘導用ブロック(点字ブロック)を設置することで、目の不自由な方は街中を
移動出来るようになりました。
しかし、反面、車椅子の方やベビーカーを押す方にとっては、歩きにくく(移動しにくく)なりました。

歩道にクルマが入らないように「車止め」を設けて、歩行者の安全を守ろうとしました。
しかし、その車止めにぶつかったり、すれ違いがしにくくなりました。

歩行者が道路を無理に横断するため、クルマとの事故が増えました。そこで横断防止柵を設置しました。
これで事故は確かに減ったでしょうが、景観を損なうと共に、歩道幅が狭くなり歩きにくくなりました。

日本の道路の隅々まで情報通信技術を使った歩行支援システムを張り巡らすのは不可能だと思います。
また莫大な費用も必要でしょう。
それよりも、立場の強い人(例えばクルマを運転する人)が、
自分よりも弱い立場の人(ここでは歩行者)に配慮したり、少し便利さを我慢したりすることで、
歩行が快適・安全になることって、いっぱいあるのではないでしょうか。
まずは、「何かを足す」のではなくて、「なにも無い状態」から考えてみてはいかがでしょうか。