JR摂津富田駅西の住宅地・富田丘町の自治会の方にお話を聞く機会がありました。同町の32番地と34番地の間を南北に通る割と太めの道(エディオンの南の方と言えばわかりやすいかも)は、今は北から南へタクシーなどが暴走する抜け道となっていますが、昭和50年頃には夏休みの間中自動車交通を遮断し、子どもたちの遊び場(通称:ぴょんぴょん広場)とする取組を自治会主体で行っていたそうです。夏のまつりや子ども神輿も行われたとか。
歩行者天国研究家・内海皓平氏のインタビュー記事によると、こういった住民主体の歩行者天国は「遊戯道路」等の名前で多く見られ、一時は東京都内で1800か所以上あったそうです。当時は子どもが今より多く、公園が今より少なかったという背景もあるようですが、1970年代の自動車保有台数約2000万台と比べ、今は約8000万台なので、あながち「昔は子どもが多かったからねえ/公園が少なかったからねえ」では片づけられないと思います。子どもを道路上から追い払い、公園という非常に限られた空間に押し込めていった過程で見られた現象だったと思われます。
今、JR摂津富田駅の西北地区で子どもが多く住んでいるのはこの道路の近くではなく、ダイエー周辺のマンション群に移っているようですが、この地区は赤大路小学校の通学路に当たり、朝の通学時間には摂津富田駅方向に向かう通過車両が多数暴走し、危険な状況が見られるようです。生まれた時から自動車会社のCMを見て育った「クルマ脳ネイティブ」世代が親となっている今、1970年代の「遊戯道路」の取組を知ることには意味があると思います。